キャッチーなエントリ・タイトルを付けるとPVが伸びることと明治期の官僚制

 2ヶ月ほど何も投稿していない。それにもかかわらずページ・ビューが100を越えていた。わりあい,戦闘的というか挑戦状的なエントリのタイトルにしたので伸びたのだろうと思う。この2ヶ月ほどは色々と心が折れることがあったり方向転換を志向したりして落ち着きがなかった。そのためにちょっと何かを書くということに手が回らなかった。正確に言えば別の書き物をしていたのだけれど,それが水泡に帰したから心が折れていた。その後は少し立ち直って■■(伏せ字)とか「ぱいそん」とか「えーご」の勉強をしたり読書をしたりしていたのだが,このあたりの身辺事情に関してはどうでも良い。

 

 読書といってもアカデミックなものはそれほど読んでいない。一番熱心に読んだのは司馬遼太郎坂の上の雲』(一〜八,新装版,1999年,文春文庫)で,何度か通読しているが,また読んだ。普通にNHKドラマも面白くて戦史・軍事史は素人っぽい関心を断続的に抱いていたが,それよりも幕末に生まれ明治期に長じた人々がいかに国家建設を成し遂げたかということにはより一層関心を寄せているので,そのあたりについて少し考えたいと思いながら読んだ。

 明治期日本における国家建設,とりわけ官僚制の構築に関しては清水唯一朗『近代日本の官僚ー維新官僚から学歴エリートへ』(2013年,中公新書)という新書にして素晴らしい著作があって,これをはじめとして幾つかの重要な研究がある。その中の多くで指摘されていることは,優秀・有能な人材が日本中から東京に集まり,維新の功労者だけでなく,地方からやってきた彼らが明治期の国家建設に携わったことである。このことは新政府軍のカウンター・パートとして旧幕軍についた諸藩が積極的に優秀な人材を発掘し,東京へ送り込んだことに由来する(ただし諸藩とはいっても,藩政治家レベルだけでなく民間レベルでも積極的に人材供給がなされていたようだ。)。

 司馬『坂の上の雲』はこの点について非常に細かく描写がなされており,特に日露戦争を描くくだりで登場各人物の出自を詳細にすることで,エリート軍人らがいかにしてエリート軍人たりえたのか,そしてこれはおそらく当時の日本における立身出世の一典型だったのだろうということを考えた。そもそも本書の主要な登場人物である秋山兄弟は伊予松山藩の出であり,朝敵であった。それにも関わらず,騎兵の父と呼ばれるようになったり伝説的な参謀となったあたりを見るに,能力主義的な人材登用は明治期の日本において欠かすことのできない国家建設の要素であったのだろう。

 急速な近代国家建設の成功と地縁的紐帯の強度はおそらく関係があるのだと思うが,これを考えるにはまだ付け焼き刃にすぎるので,もう少し勉強してから考えをまとめる。